7時30分、自強號(自強号)に乗り、花蓮Hualienを目指す。この旅一番の早起きだ。新幹線の走る西部幹線と違い、台湾鉄道の中でも最も険しい場所を走る東部幹線はスピードアップが難しい。自強號はおよそ200キロの距離を3時間かけて走る。サンドイッチを食べて少し仮眠。ちなみに仮眠するときは、前の座席の背もたれにあるポケットに「座位證(休息時使用)」と書かれた切符を入れておきます。これは、切符購入時に正規の切符とは別に渡される小さめの切符で、置いておくと、車掌が検札に来たときに寝ていても、起こされることがない。
うつらうつらとしているうちに、風景が一変していた。右手には山が迫り、左手は海。広大な大地を一直線に走る新幹線とは違い、わずかな平野を選びながら進む。途中、新型自強號、太魯閣号に追い抜かれる。JR九州の振り子式車両を元に開発された物で、花蓮までの所要時間を一気に1時間も短縮している。今のところ東部幹線自強號の3分の1程度の割合で投入されているが、人気があるので今後はもっと増えるだろう。
10時24分、目的地の1つ手前、新城Sinchengを通過。台湾観光の目玉、太魯閣渓谷に向かうには一番近い駅だが、乗降客は少ない。近いと言っても、町としては花蓮の方が圧倒的に大きいし、ツアーの多くは花蓮を起点にしているためだろう。駅前を見ても、タクシーが数台停まっているだけ。もっとも我々のように初めからタクシーを使う予定であれば、ガイドブックに「悪質なタクシーが多い」と書かれている花蓮に行くよりも、新城で探す方が良い選択かもしれない。
10時35分、花蓮に到着。今日の目的は、言わずと知れた、太魯閣渓谷観光。しかしツアーを予約しているわけではなく、レンタカーの利用が難しい台湾では、自由な旅行をしたければ、タクシーを借り切るしかない。この旅一番の大勝負、今日一日お世話になるタクシー探しだ。駅を出ると、早速タクシーの客引きが……寄ってこない。バックパックを背負った、いかにも観光客な風体なので標的になるかと思ったが、完全に無視されている。
こうなると、逆にどうやって貸切タクシーを探せば良いのかわからない。仕方がないので、タクシー乗り場の先頭に停まっていた車に声をかける。「1日」とだけ書いた紙を見せると、「はあ、いいすっよ」って感じで即決。まだ値段も伝えて無いのに。「4,000」と書いて示したのは、既に後部座席に座ってからだった。その時も、うなずくだけで、逆の意味で、交渉の余地無し。こんなんで、良いのか。ちなみにJTBパブリッシングのワールドガイドによると、「1日中チャーターするならNT$4500〜5000が目安」となっている。
予め用意しておいた見所ポイントをチェックした地図を渡す。この運ちゃんがどうであれ、滞りなく最低限の場所は見ておきたい。「ああ、太魯閣……、OK、OK」。まず訪れたのは、太魯閣族の住む部落。え、そんなとこ頼んでませんけど??、幹線道路から外れた小さな通りのひっそりとした部落を通過。垣根は独特の幾何学模様で装飾され、軒先には太魯閣族が得意とされる竹細工が置かれている。もともとは太魯閣渓谷の奥深くに住んでいた部族だが、集団移住をさせられたのだろうか。解説を聞きたいところだが、全く言葉が通じないので車窓から眺めるだけで通り過ぎる。
車はやっとこさ、太魯閣渓谷、まずはビジターセンターへ。ここも頼んだわけではないが、センターの正面に横付けし「行ってこい」と、手を振る。なんか親切すぎるので、ちょっと警戒して一応荷物は持って出る。だって、こちらの身元は名前さえも告げていないし、4,000元の約束だが紙に書いて示しただけで、控えを渡したわけでもない。あまりにも信用されすぎている感じがかえって安心できない。トイレに行くと、小便器の目線に、なぜか太魯閣族の説明がある。しかも便器毎に違う解説がしてあるので、人が去るのを見計らい、じっくりと読みふけってしまった。
ビジターセンターを出ると、少し先の駐車場に停まっていたタクシーが迎えに来る。すぐに出発し、次に停まったのは砂卡礑歩道Shakadang Trail。砂卡礑溪Shakadang River沿いに、崖を“くり抜いて”作られた歩道が続いている姿に言葉が出ない。運ちゃん、ここでも「行ってこい」と手を振るだけ。遊歩道は車道のはるか下、螺旋状の階段を下りた所にある。荷物を持って降りるのも疲れそうなので、ええい、置いてっちゃえ。歩道に降りると、意外と涼しい。深い渓谷に風が吹き抜け、「コ」の字にくり抜かれた(トンネルの左側面が無い状態)岩盤が日陰を提供している。頭上は大理石の岩だが、不思議と崩れて落ちてくるような恐怖感は無い。それにしても、「行ってこい」って言われたが何処までいけばいいの?
20分ほどで、車道に戻る。駐車場は川を越えた橋の向こう。橋の欄干は全て真っ白な大理石で出来て、狛犬のような獅子が仲良く同じ方向を向いて並んでいる。次に向かったのは長春祠Changchun Shrine。太魯閣を通る中部東西横貫公路(東西横断道路)工事の犠牲者を奉った祠(ほこら)で、建物の中央から滝が吹き出す見た目にも美しい作り。でも少し遠そうなので、「行ってこい」って言われたらどうしようかと思っていたら、運ちゃんも一緒に降りてくる。どうしたのかと思ったら、仕草から、写真を撮ってくれようとしていることがわかった。ここは記念写真を撮っていただき、退散。
道は急に上り坂になり、曲がりくねる。着いたのは、布洛灣Buluowan。名前は“湾”だが、標高400メートル近い丘だ。ちょっとした展示館の他、太魯閣族の工芸品を売る売店がある。布製品や、石を使ったアクセサリー、木彫りの置物等、見ているだけでも楽しい。太魯閣族の衣装は、どことなく北米大陸先住民の姿に似ている。その衣装に身を包んだレジのお嬢さんが、萌え〜、な感じで可愛らしい。展示館の周囲は綺麗に整備されていて、太魯閣全体が広く見渡せる。
次は、燕子口Yanzihkou。太魯閣渓谷の中で最も狭くなっている場所で、対岸まではわずか16メートル。「俺は先に行ってっから、あんたらは歩いてきなさい」、って事で、車は去っていく。これぞまさに理想の展開。渓谷には遊歩道がたくさんあるが、中には車道と平行して(旧車道を歩道として)作られている道もあり、燕子口もその1つ。そんな所では、観光バス(タクシー)に先回りしてもらい、ゆっくり散策するのが良い。太魯閣観光のつぼを心得た案内に、脱帽。今日はもう、全て運ちゃんにお任せしよう。
岩盤の質が違うのか、普通“V字型”に削れる谷が、ここでは“U字型”、逆バンク状態に削られ、垂直の絶壁がそそり立つ。遊歩道は、トンネルの所々に窓が開いたような状態で、窓から見える対岸が本当に目の前にあるのが驚き。燕ははるか頭上を悠々と飛び交い、すぐ目の前の対岸にさえ渡ることも出来ない人間を見下ろしている。燕子口を抜けてしばらく行ったところに展望テラスが作られていて、振り返って燕子口方面を見ると、切り立った断崖の凄さがが改めて実感できる。
「そろそろ飯にしねえかあ」、錐麓大断崖を仰ぎ見た後、天祥Tiansiangへ。大きな駐車場の周囲にホテルや飲食店が連なる休憩どころだが、太魯閣観光はここで折り返しとなる。元気なおばちゃんの食堂で、竹筒飯(竹筒で炊いた餅米)、金針花湯(百合の花スープ)、炒米粉(焼きビーフン)を注文。金針花は、百合科の花をつぼみのまま乾燥させた物で、しゃきしゃきとした食感。黄金色の色彩が見た目に美しい。
腹も太ったし、次は何処へ?、車は折り返して戻るのではなく、どんどん山の方へ入っていく。そして幹線道路からも外れ、小さな集落へ。着いた先にあったのは、西寶國民小學Si-bao Elementary school、って事は小学校?、なんで太魯閣観光で?。まあ、とりあえず散策。そこには変わった形の建物が。ガラスを多用した正6角形の教室を1つのユニットとし、複数のユニットが結合した形になっている。それぞれのユニットに被さっている正方形を3つ組み合わせた形の屋根が白く眩しい。1つのユニットが直径10メートルほどなので、小学校と言うよりも幼稚園程度の大きさ。ちらほらと観光客がうろついているが、ガラス越しには授業を受けている子供達の姿が見える。ずいぶん開かれた学校だ。森に囲まれた山奥の校舎、自由な雰囲気の授業、初めは時間潰し的な感覚だったが、じわじわと感動がこみ上げてきた。運ちゃん、ここまで連れてきてくれてありがとう。
さて、いよいよ太魯閣観光のハイライト、九曲洞Jiucyudongへ。九曲洞トンネルの上流側入り口で運ちゃんに「行ってこい」と見送られ、遊歩道に入る。運ちゃんとは2キロ先で合流だ。遊歩道と言っても、トンネルが出来るまでは車道として使われていたところで、平坦で広く歩きやすい。しかも、上流側からだと下流に向かって歩くことになるので、なだらかな下り。時間配分でたまたまなのか、うんちゃんが配慮してくれたのか、どちらにしろありがたい。
車道と言っても、壁面は素掘りのままで、コンクリート舗装されているわけではない。力業(ちからわざ)で掘り進んできた偉業がそこここに感じられる。九曲洞は、直訳すれば「9回曲がったトンネル」だが、実際に9回曲がっているわけではなく、“たくさん”と言う意味らしい。実際何処までが1つのカーブなのか判断するのは難しい。大自然に逆らって作った道だが、大自然に沿って掘り進められたわけだ。おかげで太魯閣の大自然を満喫するには素晴らしい遊歩道となっている。世界遺産登録へ向けた動きがあるそうだが、ぜひ、複合遺産(自然と文化)として登録されることを望む。
30分ほどの散歩で、九曲洞トンネル西口に到着。これで太魯閣観光終了……だよね、運ちゃん。車はビジターセンターを抜けて……やはり太魯閣観光終了……海岸沿いを北に向かう。太魯閣渓谷以外で運ちゃんにリクエストした唯一の場所、清水断崖Cingshui Cliffだ。車は崇德休憩據點Chungte Recreational Area(崇徳休憩拠点)へ。太魯閣渓谷をそのまま海に持ってきたような断崖絶壁が、幾重にも折り重なり続いている。海岸へ降りる道もあるので、太平洋の荒波を見に行くのも楽しいかも知れない……帰り道を登ってくる根性が有ればだが。
時刻は3時半、今日の目的は十二分に達成したので後は花蓮市内でまったりと過ごしても良かったけど、運ちゃんが何処かに連れて行ってくれるみたいなので、お任せする。まずは七星潭風景区Chishingtarn Coast Scenic Area、空港の北西に広がる海浜公園で、時折頭上を戦闘機やプロペラ機が爆音を響かせ通り過ぎる。散歩をしている人は多いが、泳いでいる人は居ない。若者が水遊びしている程度だ。海岸は砂浜と言うよりも大小の小石で作られていて、探せば真っ白な大理石が見つかる。大理石工場で高価な土産物を買わされるよりは、自分へのお土産に、好きな形の石をじっくりと探す方をお薦めします。
次に訪れたのは、松園別館Pine Garden。花蓮市内から程近い小高い丘Mei-Lun mountainにある和洋折衷の洋館で、市内、太平洋を一望できる。最初ここが何の建物かわからなかったが……昔の偉い人の別荘か何かか?……日本語の説明を見て驚いた。この建物は、戦争中に軍のオフィスとして作られた物で、高級将校の招待所として使われていたそうだ。花蓮に日本統治時代の影響があったとは、まったく思考外の事であったが、考えてみれば100数十キロ先は与那国島、台北と変わらない距離だ。太平洋戦争末期、沖縄にアメリカ軍が上陸した時は、この街にも緊張が走ったに違いない。さらに説明を読むと、この街は神風特攻隊の駐屯地だったそうだ。人生の最後を過ごしたこの街は、彼らにはどう見えたのだろうか。
一時は荒れ果てていたそうだが、綺麗に整備された館内を散策。今はギャラリーとして使われているようで、次の催し物の準備をしている。売店では松園グッズの他に、なぜか布袋戲(台湾人形劇、6月21日の旅行記参照の事)関連の商品が並べられていて、李天祿(リー・ティエンルー)を紹介する本もある。人形を模したかわいい置物があったのでお土産に購入。
運ちゃんもそろそろ“ネタ切れ”みたいで、次は何処に行こうか考えている。もう満足したから「終」にしようと伝えてあるのだが、「わかった、わかった」と言うだけでなかなか駅に向かわない。魚市場や、夜市の準備が始まった南濱公園を散歩した後、市内から少し南へ。1軒の民宿……と看板に出ていた……の前に車を停める。中国風の立派な建物で、玄関を入るとおばちゃん達がお茶を飲んでいる。「ちょっと中、見させてもらっていいかい?」って感じで運ちゃんを先頭に建物の中を散策。壺やら彫刻やら掛け軸やら、なんか凄そうな物が無造作に置かれている。食堂のような広間は、まるで「悲情城市」の世界。これで民宿とは勿体ない。「お邪魔しました」、門を出て、仰ぎ見ると民宿の名前、「福園」の看板があり、中華民国の元総統、李登輝の署名が。そんなに由緒正しい宿だったのか?。
運ちゃんへの最後のお願い、弁当を買いに行く。「池上弁当、有?」と聞いたら「OK、OK」と連れて行ってくれたのは麗池飯包と言う名の、見たところ普通のホカベン屋。なんでこれが池上弁当?、店のポスターを見ると、池上米(正確には、富里米)を使った弁当屋らしい。駅弁を期待したがまあいっか、これはこれで美味しそうだ。白身魚弁当と、一番リッチなウナギ弁当を注文。駅に戻り、運ちゃんとお別れ。お世話になりました。約束は4,000元だったけど、感謝を込めて、4,500差し上げました。今日一日、本当にありがとう、素晴らしい体験ができました。
電車の時間までまだ1時間有るので、弁当は待合室で食べることに。包み紙を見て驚いた。「日本天皇様の御用米です!」と誇らしげに書いてある。“天皇”と言う言葉に拒否反応が多いアジアの国の中で、いや、日本でさえ戦争責任を考えると微妙な立場となる天皇の存在が、日本統治下にあった国で宣伝文句として堂々と使われている。もちもちとしたその米は、これまで食べた台湾のお米とは異質の味、美味しくいただきました。
19時30分発、念願の太魯閣号に乗車。プッシュプル方式(先頭と最後尾が機関車で、客車を挟み込む)で無骨な従来の自強號(自強号)に代わり、動力分散方式(動力が複数の車両に分散されている)で見た目にも洗練された姿をしている。内装も外装も白を基調としたデザイン。座席の前後間隔は広くとってあり、ゆったりとくつろげる。
台湾で一番長い一日は、親切な運ちゃんのおかげで楽しく過ごせました。タクシーの車番、お名前を公開して宣伝したいくらいですが、ご本人の了解を取っているわけではないのでやめておきます……わかったからと言って、“指名”できるのかどうかも知りませんし。興味がある方は、直接ご連絡いただければお伝えいたします。7日目、終わり。
06/26 end
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