6時30分起床、今日も良い天気だ。ホテルの裏側を少し歩くと、台北は何処でもそうなのかも知れないが、早くから朝食を提供する店がたくさんある。屋台に毛が生えた程度の台湾情緒を満喫できる店がそこここにあり、特にこの辺りは予備校が多いようで、朝食を求める若者を多く目にする。そんな店の一つで、葱花蛋餅(葱の入ったオムレツ)と豆漿(台湾の朝の定番、豆乳)を注文。2人で約100元(約400円)の朝食。
ホテルに戻る前に、セブンイレブンで氷を買う。とにかく暑さ対策を考え、アウトドアショップで購入した広口のボトル(水筒)を持ってきている。それに氷を入れて、水分補給と同時に涼をとる計画だ。台湾には至る所にセブンイレブンやファミリーマートがあり、店舗密度で言えば恐らく日本以上。手近な日用品であれば入手に困ることは無いので、台湾旅行を計画する場合、それほど持ち物に気を遣う必要は無いかも知れない。特に女性の場合、日焼け止めや化粧品が日本ブランドそのままで売っているので重宝するだろう。
今日の予定は九份(九分)散策。東国原宮崎県知事も訪れる台湾観光の定番スポットだが、20年前に映画「悲情城市」を見てから「台湾に行くなら絶対に行こう」と思っていた所だ(もしも台湾に行ったらパート1)。台北からは各旅行会社のツアーがたくさん出ているが、ここは電車で行きましょう、日本で言うと昔の国鉄に相当する臺灣鐵路管理局(台湾鉄路管理局)、いわゆる臺鐵(台鉄)の窓口でで九份最寄りの瑞芳Rueifangまでの切符を買う。今9時過ぎだけど、渡された切符は10時20分発の莒光號(キョ光号)。あれ、なんだか時間が空いちゃったなあ。
仕方がないので、明日以降の切符を準備することに。台鉄の自動券売機があったので、試しに触ってみると、おおー、これはわかりやすい。日付、区間、時刻を入力すると列車一覧が表示され、希望の列車と枚数を指定すると即座に空席情報が得られる。「この便が無かったらこの時間で……」と試行錯誤しながら購入したい場合、台湾語が全く出来なくても機械相手なので楽々買える。太魯閣へ行くための最寄り駅、花蓮Hualienまでの切符を探すが、お目当ての台鉄新型自強号(特急)、太魯閣号がなかなかとれず、26日帰りの便でやっと確保。
10時過ぎ、台北駅地下にある台鉄のホームに入る。土曜日ということもあり、行楽客でごった返している。近くに居たお兄さんに切符を見せて「ここでいいの?」と目で問いかけると、お兄さんが持っていた同じ莒光號の切符を見せてうなずいてくれた。そして何か伝えようともがいているのでボールペンを渡すと、自分の手に「晩」の文字。どうやら遅れるという意味らしい。
結局12分遅れで出発。指定券が取れなかった人が通路にあふれている。しばらくは地下を走っていたが、すぐに地上に出る。表側(バス通り)から見る台北の街はそれなりに洗練されていたが、裏側(鉄路)から見る街はひどくごみごみとしている。
1時間ほどで瑞芳に到着。バス乗り場を見ると結構ごった返しているのでタクシーで行くことに。タクシー乗り場に行くと、先に居たカップルに話しかけられ、「九份か?九份だな。よし、割り勘で一緒に行こう」(以上、雰囲気から推定日本語訳)とタクシーに押し込められる。荒手のぼったくりだったらどうしようかと思ったが面倒臭いのでなすがまま、話し好きの運ちゃん(台湾語でも運転手は“運ちゃん”です)で、「いいから前見てくれよ」って感じだったが無事到着。料金はきっちり割り勘で90元。
あこがれの九份は、ガイドブック片手の観光客でいっぱい。老街と呼ばれる古い通りは縁日のような賑わいで、すれ違うのもやっと。風景は古いままとどめられているのでそれなりに絵になるが、映画で見た終戦直後の雰囲気、ノスタルジーを感じるのは難しい。
さて、お昼御飯。ちょうど昼時なので何処もごった返している。が、実はお目当ての店があり、記憶を頼りに……メモしてくるの忘れました……探す。にぎわう通りに面してちょっと怪しいトンネルがあり、目指す「芋仔蕃薯」の看板を発見。トンネルを抜けると、小さな裏庭のような場所に出る。どうしたものかと思ったが、店のお姉さんがすぐに見つけてくれて招き入れてくれた。
「いらっしゃい。ゆっくりしなさい」。日本語の達者なおばあちゃんにテラス席に案内してもらう。眼下には斜面にへばり付く九份の街が広がり、遠くは海まで見渡せる。老街の喧噪が嘘のような静けさだ。「食事?、美味しい物たくさんあるよ」。メニューを見てもよくわからないのでおばあちゃんに全てお任せ、それと烏龍茶を注文。烏龍茶も作法がよくわからないので全てお任せ。お姉さんが手際よくいれるのを感心して眺める。
サービスで出された烏龍茶梅と大根せんべいを食べながら、おばあちゃんと一時の会話。日本人が来るのが嬉しいようで、楽しそうにしゃべる。80歳過ぎと言うから、戦争中、日本人がたくさん居て、この街が最も華やかだった時代を知っている世代だ。こうして日本語で会話していると、搾取した側の日本人としては複雑な気持ちになる。本当は戦争中の事について、日本と台湾の関わりについて、突っ込んだ話を聞きたかったが、初対面なのでそこまでの話は出来なかった。
料理はよくわからない肉炒めとよくわからない野菜炒め、そして目の前の海で捕れたというエビの蒸し物、そしてサービスの大根入りオムレツ。「おかわりしなさい」と言われたが、おいおい小食夫婦なんだからこんなに食べられないよ。でも美味しかったので頑張って残さず食べました。
元気なおばあちゃんに見送られ……近道だとかでよくわからない民家の間を抜ける……、九份の街を後にする。結局ほとんど観光することなく、昼飯を食べに来ただけとなった。が、おばあちゃんとの会話の中で、この街に求めていた物の一端は感じることが出来た。ありがとう。いつまでもお元気で。あ、九份名物の芋圓を食べるの忘れちまったぜ。
タクシー、台鉄を乗り継ぎ台北に戻る。ホテルに戻りしばらく休憩……やはり立地で選んだのは正解だった……した後、夜のお楽しみへ出かける。タクシーに探し回ってもらい、やっとたどり着いたのは路地裏の小さな店。台北ナビで見つけた、台湾人形劇、布袋戲(布袋劇)のショーを行う敘舊布袋戲茶飯劇場だ。「非情城市」を監督した侯孝賢(ホウ・シャオシェン)が、人形劇師、李天祿(リー・ティエンルー)の半生を描いた「戯夢人生」を見てから「台湾に行くなら絶対に見よう」と思っていた物だ(もしも台湾に行ったらパート2)。
頑張っても30人程度しか入れそうにない小さな食堂の奥には、小学校の学芸会のような人形劇の舞台がある。壁には現代布袋戲に使われる人形……映画で使われていた物よりもかなり大きめ……がたくさん飾られている。一部は販売も行っているらしい。ここの主催者とおぼしき男性……ちょっと強面(こわもて)……と英語で会話。「侯孝賢の映画を見て興味を持った」と伝えると、「李天祿ですね。残念ながら彼は数年前に亡くなりました。100歳は過ぎていましたが」との事。激動の時代を生きての大往生に、少し胸が熱くなった。
ショーが始まる。まずは小さめの人形と獅子舞による道化劇。日本語、英語、台湾語を取り混ぜて、楽しくわかりやすく舞台は進行する。後半は現代布袋戲で使われる人形を使い、恋愛から決闘まで波瀾万丈、荒唐無稽な展開。エコーのかかったセリフにブラックライトやスモークの舞台演出。人形劇のイメージを超える、立派なエンターテインメントだ。また、かなり観客参加型の演出なので、気弱な方はなるべく後ろの席に座って下さい。もっとも今日は6人しか客が居なかったので否応なく全員参加でしたが。
ショーが終わると、今度は全員に人形を配り、即席の講習会が始まる。小さな人形の場合は片手でOK。人差し指を首にいれて、親指と残りの指で人形の両手を操作する。うん、これはわかりやすい。しかし現代布袋戲人形の場合は、基本的に1人で1体を操作するために、左手は人形の左手を操作するだけだが、右手は2キロの人形を支えながら、中指薬指小指の3本で人形の右手を自在に操らなければならない。そして各グループで即席舞台。しどろもどろに操っていると、疲れて手が下がってくるため「アップ!!アップ!!」と注意を受ける。最後は記念撮影をしてもらい、無事終了。いやあ、結構濃い時間を過ごしました。
台北捷運(MRT)……台北全域を走る地下・高架鉄(いわゆる新交通システムみたいな)……に乗る。券売機で切符を買うと、プラスチックで出来た小さなコインが。これを自動改札機のコインマークの所にかざすと入場できる仕組みだ。この自動改札機が、表現が難しいがすごく立体的な構造で、日本の自動改札機のように歩きながら通過することが難しくなっている。確実に一時停止しなければ通過できないので、せっかちな日本人には向かないかも。
台北駅は、さすがに東京駅ほどでは無いものの、地下街も広く発達している。地下鉄の駅からホテルまで、少し迷ったが無事到着。2日目、終わり。
06/21 end
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