モンサントの朝
7時起床。少し荷物をまとめた後、朝食を食べにレストランへ。昨日のフロントの男性が、また一人で全ての準備をしている。ちなみに泊まり客は我々だけだったようで、マン・ツー・マン態勢で密着サービスを受けることになる。隅に置いてあった四角い物体に目を留めると、すかさずやってきて「これはお祭りの時に使う太鼓で……」と丁寧な説明が始まる。
部屋に戻り、テラスで町を見下ろしながら歯磨き。散歩をしているおじさん、洗濯をしているおばさん、朝の普通の風景が広がる。「眺めのいいホテル」は数あれど、ここは眺めが良くて、なおかつ普通の人々の暮らしにとけ込める風景が得られる素晴らしいホテル(部屋)だ。おまけにこちらが恐縮するほどの丁寧なサービス、そして
ポサーダPousadaではなくなったおかげで安くなった料金(1泊60ユーロ)、World's Best Hotelsの称号を勝手に与えましょう。
最後まで笑顔を見せることはなかった実直なホテルマンに見送られ、
モンサントMonsantoを出発。今日の予定は
ポルトOportoまで。スペインとの国境に沿って北上し
ドウロ川Rio Douroに沿って下るか、最初に西に向かい大西洋に沿って北上するか、昨日の夜まで決めかねていたが、どうしても食べておきたい料理があり、西へ向かうことにした。
子豚の丸焼き
ポルトガルの中央には背骨のように山脈が横たわっていて、内陸部を東西に抜ける場合、何処かで山越えをすることになる。地図を見ると、
カステロ・ブランコCastelo Brancoから、大西洋岸に近い
コインブラCoimbraに抜ける道があるが、もう少し南に“太い”道があるようなのでそこまで南下し西を目指す。IP2(18)から西へ向かう道に入ると、結構上り下りが激しい。材木を積んだトラックが列をなしていると追い越すのが大変だが、もたもたしていると荒っぽいポルトガル人ドライバーにすぐにあおられてしまう。
コインブラに到着、ここからポルトまでは高速道路
A1をひたすら北上となる。が、お目当ての料理がある
メアリャーダMealhadaで一般道に降りる。車を適当に走らせて、最初に見つけた一目でそれとわかる看板の店に車を止める。ジャスト12オクロック、時間どおりに昼飯にありつけるなんて素晴らしい。
適当に入ったこの店、
子豚のピクニックRestaurante PIC NIC dos LEITÕES(勝手に意訳)は、道路に面した所に2階建ての店舗があり、奥に結構広い駐車場がある。そして更に奥には“工場”があり、なにやら怪しげな煙が漂っている。店の入り口には既に10数人の列が出来ていたが、10分程度で2階に案内された。
席について周りを見渡すと、全ての客が同じ料理を食べている。当然我々も同じ物を注文、程なくして出てきたその料理は、メアリャーダ名物、
レイタオン・アサードLeitão Assado(子豚の丸焼き)。ポルトガル旅行の下調べをしていたとき、今回の旅ですごくお世話になっている「旅の指さし会話帳52ポルトガル語」の著者であるくりかおりさんの
リスボンのくりの家で
レイタオンの記事を読み、1日つぶしてでも食べに行こうと思った料理だ。
皿に盛られたそれは、まさに豚を焼いただけ、生まれてから母乳しか飲ませていない子豚(乳児豚?)を串刺しにしてじっくりとロースト……なんて残酷な料理だ……して作る。パリパリとした皮とジューシーな肉の取り合わせがたまらない。隣のテーブルの男性が「何処から来たの?日本か。どうだ?ここのレイタオンは最高だろう」と自分のことのように自慢している。わざわざこの町に寄り道して大正解であった。
大満足で駐車場に戻る。奥の工場では途絶えることのない煙が上がっている。この中で何も知らずに連れてこられた子豚達が次々と焼かれていると思うと少し申し訳ない気もするが、残さず食べたので……少なくとも周りのポルトガル人よりは骨のきわまできれいに食べました……勘弁してください。
ポルトへ
ポルトへ向けて北上。コインブラを始め、名だたる観光地が幾つもある大西洋岸であるが、まっすぐ宿に向かうことにした。ポルトまでは100キロ、高速を快調にとばすと、1時間程度で大きな渓谷を越える橋を渡る。ドウロ川に架かる
フレイショ橋Ponte do Freixoだ。橋を渡ると、ポルトの街。
ホテルは、
ペスターナ・ポルトPestana Porto。世界遺産に指定されているポルト歴史地区のど真ん中に位置する4つ星ホテルだ。大好きなテレビ番組……BS日テレ「
トラベリックス−世界体感旅行−」……がありそこで
紹介されたホテルに世界の何処でもいいから泊まってみたいと思っていたのがやっと実現した。
さて、ホテルまでは無事到着したが、駐車する所が無い。荷物を下ろそうにもホテルの周りの一方通行道路は既に路上駐車で埋まっていて、一時的に止めるのもはばかられる状態。結局、数100メートル離れた地下駐車場に入れ、そこから石畳の道を歩いてホテルに向かう。
部屋は501号室。民家を改装した建物だそうだが、内部は近代的な作り。唯一面影を残しているのが窓枠。神社の石段に使われるような立派な石で組まれていて、鉄の格子がはめられていた穴が残っている。窓からはドウロ川の観光クルーズ船が発着する船着き場や、正面には
ドン・ルイス一世橋Ponte de Dom Luis Iが見渡せる。見下ろすと多くの観光客が行き交っていて、こちらに向けて写真を撮っている人……外観は18世紀そのままなので絵になる……が居たのでカメラを構えた瞬間にVサインをしてやった。
謎のカルロス・アルベルト
4時を過ぎた。散歩に出かけて、そのまま食事だなこりゃ。ドン・ルイス一世橋は電車が走っているが、あの電車に乗るにはどうすればよいのだろうか。とりあえず
アズレージョAzulejo(装飾タイル)で有名な
サン・ベント駅Estação de São Bentoに行ってみようか。
川沿いにあるホテルは当然街の一番低い位置のため、駅まではだらだらと上り坂が続く。結構疲れる。途中日本語で書かれた観光案内があったので立ち止まっていると、熱心な……少し怪しい……店員がパンフレットを手に説明をまくし立ててくる。よく考えないで、明日のポルト周遊観光バスチケットを買ってしまった。駅のアズレージョはなるほど凄い。壁面を覆う巨大な作品……これって最初に全部並べて絵を描くの?それとも一枚一枚書いて組み合わせるの??……は迫力があるが、表面に布か網のようなものが掛けられていて、網戸越しの風景のようで魅力半減。
駅の付近を歩いていると「日本人ですか?」と、突然おじさんに話しかけられる。何者?くせ者??と思っていると男性の連れの日本人女性が説明してくれる。「この人日本人が大好きでねぇ。観光客を見つけては話しかけてるのよね」。そう言うあなたは何者???話を聞くと、ポルトガルが気に入って半分居着いているような生活をしているらしい。流暢なポルトガル語を話している。おじさんにお薦めのレストランを紹介してもらうことにした。「昨日食べた店は旨かったなあ、なんてったっけなあ。カルロス……、そうだ
カルロス・アルベルトだ」。
地図に付けてもらった印を目指して道を辿る。さきほどのおじさんは、通りの向こう側でまた別の日本人を捕まえて話をしている。「確かこの広場のそばだったような……」という広場まで来て周囲2ブロックを探すが見つからない。あきらめて広場のそばにあったレストランに入った。地元の人で結構賑わっているその店は、ポルトガル料理のメニューが豊富、ちゃんと“半人前”でも注文できるようになっているのも嬉しい。
注文したのは勿論ポルトガル料理、
サルディーニャ・アサードSardinhas Assadas(イワシの塩焼き)……半人前にもかかわらず4匹も登場、1人前だと8匹か?。
アローシュ・ド・パトArroz de Pato(あひるごはん)……炊き込みご飯を期待していたが、出てきたのはリゾットでした、まあ鶏雑炊みたいで旨い。
カルド・ベルデCaldo Verde(ジャガイモのスープ)……濃い緑の野菜がキャベツだとは気づきませんでした。
お腹いっぱいで店を出る。カルロス・アルベルトは見つからなかったが、ま、いいか。店の前の、歩道脇の支柱に緑の交通標識のような物が。「……ぷらか、で、かるろす、あるべると?
PRAÇA DE CARLOS ALBERTO……」。なんと、店の前の広場の名前がカルロス・アルベルトであった。どうやらおじさんの記憶の中のカルロス・アルベルト・レストランは、この店で間違いなかったようだ。謎が解けてすっきりしたが、新たな謎が……、カルロス・アルベルトって、何者????