エヴォラの朝
朝の町を散歩する。カフェは出勤前の人々で賑わっている。この国の朝ご飯は甘いお菓子を一つか二つ、そしてエスプレッソコーヒーが定番のようだ。郵便局に寄ったついでに我々もカフェで朝食をとることにした。ショーケースの中から幾つかのパンを選び、絞りたてのオレンジジュースと
ガラオンGalãoを注文。ガラオンは、グラスで飲むミルクコーヒーだ。
帰りがけ、昨日は時間切れで寄れなかった
カテドラルSéを訪問。ここも豪華な金泥細工装飾だ。エヴォラの街で一番見たかったのが、ここのパイプオルガン。1584年、天正遣欧少年使節団がエヴォラを訪れたときに演奏した(そして2003年、
渡辺美里が演奏した)と伝えられるパイプオルガンだ。2階の暗がりにあるそれを見上げながら、400年の時を思う。
ディアナ神殿Templo de Dianaの周りには朝から多くの観光客が詰めかけている。
ロイオス教会Igreja dos Lóios前、恐らくこの街で一番良いところにある駐車場を出発する。今日の予定は
モンサントMonsantoまで。後は時間を見て寄れるところに寄ることにする。まずは
マルヴァオンMarvãoを目指そう。
天空の城、マルヴァオン
ピレネー山脈を越えるとそこはアフリカだった。かつてナポレオンはそう言ったそうだが、なだらかに続く丘にオリーブの木が植えられている様は、確かにチュニジアで見た景色に似ている。ポルトガルの都市間を結ぶ高速道路
Auot-Estradaは見事に整備されていて快適なドライブ。道沿いには、オリーブの木と並んで、皮をはがされてそこだけ茶色の地肌を見せているコルクの木がたくさん植えられていた。
東の
エストレモスEstremozまでは50キロ、そこから60キロ北上し
ポルタレグレPortalegreへ。ここからマルヴァオンへ向かう道があるはずだが分岐が見つけられず西に逸れてしまう。N246を暫く北上しUターンに近い形でマルヴァオンへ。エヴォラから2時間、そそり立つ岩山の上に難攻不落の城が見えてきた。
山道をうねうねと登っていくと、城壁の手前の駐車場に到着した。見上げると山頂はまだ上のようなので、そこは通過しそのまま城壁の中に突き進む。車一台がかろうじて通過できる細道を通り、小さな広場に出る。さらにそこを通過し高台へ、車で行くことが出来る終点、案内所(Tourism Office)の前に車を止める。ここからなら山頂もすぐそこだ。
マルヴァオンは古くから戦地となってきた。イスラム教徒の支配に始まり、ポルトガル成立後もスペインとの戦争、そして1833年には内戦の舞台にもなった。最初に城が造られたのは13世紀の終わり頃だそうだ。案内所の前から山頂に作られた砦まではゆるい上り坂になっているが、最初に見えてきたのは美しく手入れの行き届いた庭園。ここでもアジサイの花が彩りを添えている。
細い城壁を上り、四角い天守閣
keep……なんだか映画「ゲド戦記」のクライマックスに出てきたお城みたいだなあ……を登る。天守閣の小さな入り口はそこだけ石ではなく木で渡してあり、板を落とせば石の砦は完全に孤立してしまう。砦の上は360度の大パノラマ、国境に近い町なので、スペインまで見渡せる……らしい、どこからがスペインなのかよくわからない。
昼食は下の広場に面したホテル
Albergaria El-Rei Dom Manuelのレストランへ。昨日大満足だったアレンテージョ風スープを注文。が、ここのは単純な塩味でちょっと淡泊な感じ。まあ不味くはないが、満足感がない。
石の村、モンサント
小雨が降り出したところで、エヴォラを去ることにした。今日の宿、モンサントを目指す。
IP2を通り北上し、
カステロ・ブランコCastelo Branco……このあたりからポルトガル中部を形成する
ベイラBeiras地方となる……から田舎道に逸れる……はずであるが、カステロ・ブランコの町で迷路にはまる。何度も言うが、ポルトガルは都市間の道路は素晴らしい。が、町の内部に入るとすぐに迷路になってしまう。結局
IP2に戻り、一つ先の出口(24)から東に向かう細い道を通った。同じルートをお考えの方がいらっしゃいましたら、こちらをお薦めします。
マルヴァオンよりも、更に田舎な感じの道が続く。小さな町を通過するときは、町の入り口に信号があり、強制的に減速させるようになっている。そして何処の町も石畳が美しい。
午後4時、モンサントに到着。ここも村の入り口に駐車場があり、そこから奥は「住民以外進入禁止」となっている。仕方がないのでそこから歩いて宿を目指す。実は今日は宿の予約をしていない。モンサントには唯一の宿、
ポサーダPousadaがある(あった)はずだが、なぜかグループから外れたようで、
現在ネットで予約する手段が無くなっている。2010年5月記)
ホームページが出来た様です。英語で記入できる予約リクエストフォームもあります。
駐車場から少し上がったところに元ポサーダ、現在の
モンサント・インHotel Estalagem de Monsantoがある。扉を開けて入ると、受付には一人の男性が。「予約してないけど、部屋あります?」「はい、もちろん」。よかった、いくらでもいいから泊めてくれ、今更カステロ・ブランコまで戻りたくはない。部屋は103号室、テラスが付いていて、モンサントの町が見渡せる。
夕食の時間にはまだ早いので村を散策。ここも山城として幾度も戦争の舞台になった場所で、山頂には城跡が残っているが、見所はなんと言っても
石の家だ。狭い斜面にへばりつくように並ぶ家々は、わずかな空間を目一杯利用するために自然の巨石を壁の一部として利用している。泊まっているホテルも隣の建物との間に大きな岩がめり込んでいる。
モンサントが「ポルトガルで最もポルトガルらしい村」に選ばれたのが1938年、70年近くたった今、すれ違う人はお年寄りばかり、うち捨てられた家も目立つ静かな村だ。「カステロ?(城はこっち?)」と通りかかる人に尋ねながら山頂を目指す。息を切らせながら到着した高台からは、手に入るくらいの小さな村が眼下に見える。そしてベイラ・バイシャ(低地)の広大な大地は何処までも続いている。
ホテルに戻り、晩飯にする。本当ならホテルのレストランで評判の郷土料理を食べるところだが「申し訳ございません。今、調理用のボイラーが壊れていましてご利用になれません」との事で、日本から持ってきた非常食ですませることにした。駐車場から何度かに分けて部屋に荷物を運び込んでいると、その度にフロントの男性……どうやら従業員は彼一人のようだ……が立ち上がり直立不動の姿勢を見せる。いや、その、どうぞお構いなく。