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2003hawaii 10/02
 夕暮れの成田空港、JALのジャンボジェット、リゾッチャ号の堂々たる姿を遠目に見ながらANAのちっちゃなボーイング767の搭乗を待つ。ハワイHawai`i行きはドル箱路線(だと思う)なのに、なぜANAはこんな中型機を使うのだろうか。しかし、2−3−2列の座席だと、2人連れならば何処に座っても他人に気を遣うことも遣われることもない。ジャンボジェットの3−5−3列だと必ず隣に“他人”が座るので席を立つ度、立たれる度に気を遣うことになる。おまけに全座席にビデオ・オン・デマンド仕様のテレビが付いていて(帰りは違ったのだが)言うこと無しだ。

 しかし到着は朝なのでテレビを見ることもなくひたすら眠ることに努める(結局時差ボケ解消には現地時間に早く体を慣らすしかない)。食事もまずまず、揺れもなく、成田から8時間、朝9時にオアフ島O`ahuホノルル空港Honolulu International Airportに到着。寝るには少し短かかったけど、それだけハワイが日本にとって身近な所ってわけだ。飛行機を降り、入国審査を通り、荷物を受け取り、10分程度でもう外に出ることができた(間違いなく、これまでの最短記録)。さすがに暖かい。冷夏で短かった夏を、これからゆっくり取り戻すことにしよう。

 まずは、ハーツHertzのバスに乗りレンタカーを借りに行く。勤めている会社がデカイと何かと利点があるが、Hertz #1 Club Goldに無料で加入できるのもその一つ。バスの運転手にゴールドカードを示すだけで、営業所に寄らずに(運転手だけが営業所で降りてキーを受け取って来た)予約しておいた車の前に直行。サイン一つすることもなくキーを受け取れる。待っていたのは黄色のフォード・マスタングFord Mustang Coupe。6気筒、3,800ccのエンジン。おいおいこれで“スタンダード”かよ。でも料金はおおむね日本の半額だけどね。

 最初の目的地は、モアナルア・ガーデンパークMoanalua Gardens P.。ハワイに数多(あまた)ある公園の中で、ここほど日本人が訪れる公園はないだろう。この公園を有名にしている唯一最大の功績は、日立製作所にある。カンのいい方はお気づきかと思うが、あの「この〜木なんの木きになる木」の日立の樹がここにあるのだ。実はこの公園、空港からわずか5キロ程度の、レンタカーを借りて慣らし運転をするには丁度いい距離にある。真っ直ぐ行けば10分程度の道を、なぜか30分かけて到着。

 車を降りると太陽がジリジリと肌を焼くのがわかる。だいぶ日が高くなったようだ。公園に入ると、そいつはそこに鎮座していた。テレビで見るそのままの姿で(そのままの姿をテレビで映している、が正しいかな)、ゆったりと風にそよいでいる。樹の名称はモンキーポッドMonkeypod。豆科の植物で、日立の樹ONLINEによると、樹齢120年、最大幅40メートルだそうだ。ちょうど白い花をたくさん咲かせている。歌詞にある「見たこともない花」はこれだったのね。

 公園内には他にも大小(と言うよりも特大と大)のモンキーポッドがあり、そのうちの一本の木陰で休む。湿度が低いのだろう、木陰に入れば風が涼しく気持ちがいい。芝生に横になり遠くから日立の樹を眺める。少し眠くなってくる。樹には次々と日本人とおぼしき観光客がやってきて記念写真を撮っている。すぐそばにある学校から、子供たちの歓声が聞こえてくる。この子たちは、どうして日本人がたくさんここに来るのか知っているのだろうか。ま、そんなことに興味は無いか。「この樹のように、大きく育てよ」と思うのも余計なお世話。

 このままお昼寝をしたい誘惑を断ち切り・・・うちの妻は虫が嫌いなので芝生で寝られないのだ・・・次の目的地、USSアリゾナ記念館USS Arizona Memorialを目指す。言わずと知れた「remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」、太平洋戦争の始まりの場所だ。空港から西へ、これまた5キロ程度の所にある(空港が真珠湾の入り口にある)。

 2001年11月のニューヨークのテロ事件以降、アメリカ中の施設がそうなのだろう、入場に際してのチェックが厳しく、女性のハンドバックさえ持って入る事は出来ない。カメラだけを首から提げて、施設の中に入った。整理券をもらい(混雑時は数時間待ちらしい)、見学ツアーに呼ばれるのを待つ。日本人も居るが、家族連れのアメリカ人が多い。戦争の記録を辿るにしては、皆にぎやかでかしこまったところはない。

 ツアーの順番が来て、映写室に通される。まずはボランティアの人が、実際に自分が体験した真珠湾攻撃の模様を語り、その後記録映画を見る。全て英語だが、日本語のパンフレットとほぼ同じ内容なのでなんとなくわかる。

 映画が終わり、いよいよ船に乗り記念館に向かう。晴れてはいるが、遠くの山に雲がわき、ハワイらしい天気。湾を横切るように移動する間もテープレコーダーで解説が入るのだが、ほとんど聞き取れないせいもあり、遊覧船に乗って観光している気分だ。まもなく、記念館に到着。

 記念館は、海底に横たわる戦艦アリゾナの甲板をまたぐ形で、海上に建てられている。遺体捜索よりも戦争の遂行を優先したため、今も千数百名の乗員を乗せたまま沈んでいるそうだ。記念写真を撮る人々の間をぬい、手すりにもたれ下を見ると、沈没から60年経つ今も漏れ続ける油が海面に虹色の模様を作っているのが見えた。

 迎えの船が来た。団体客が、一つの観光地から次の観光地に移動するように、全員が船に乗り込む。人々の顔はやはり観光客のそれと変わらない。反戦を訴えるはずのモニュメントが、ただの“映画の舞台”になってしまっていることに違和感を感じながら、陸に戻った。

 気が付いたらとっくに昼時間を過ぎている。ワイキキWaikiki方面に車を向け、適当な所はないかと入り込んだ(迷い込んだ)のはアロハタワー・マーケットプレイスAloha Tower Marketplace。ショッピングセンターの2階にあるファーストフードコーナーで、中華だかなんだかわからないテイクアウトを食べる。テラスに座ると、すぐ近くに小鳥が寄ってくる。試しにご飯粒を投げてみると、一瞬で持っていかれてしまった。さらに手のひらに載せて差し出すと、これも器用に空中で静止し食べてくれる。閉め切った室内で冷房がないと暮らせない東京の夏と比べて、なんとさわやかなことだろう。

 ショッピングモールをぶらぶらと歩く。何処の店も日本語の表示があり、日本語をしゃべる店員が居る。それだけで全ての商品が安っぽく見えて、だんだんと辟易(へきえき)してくる。これから先、ハワイはずっとこうなのだろうか。アロハシャツを一着買おうと思っているのだが、結局ここでは何も買わず、今日の宿へ向かった。

 オアフ島の宿は、ワイキキから山を越えた東海岸の町カイルアKailuaB&B(今更解説は要らないだろうが念のため。B&Bとは、朝食付き(夕食は無い)の個人経営の宿。日本で言う(本来の)民宿に近い)。州道61号線(State Highwayを州道と訳しておきます)Pali Hwy.を通り山にはいるとたちまち霧に包まれ強い雨になった。ハワイの島々は貿易風の影響で東側に多くの雨が降り、山を越えた西側は乾いている。典型的なハワイの天気だ。カイルアの町に入っても強い雨が降っていたが、迷いながら住宅地の一角にある宿に着いた頃にはなんとか降り止んだ。

 庭に車を停めると待ってましたとばかりに年輩の女性が現れる。こちらのペースに関係なくしゃべりまくり。挨拶程度しか英語ができない妻はもう笑うしかない。重厚な扉を開けて敷地に入ると、洋なし型のプールがあり、周りに植えられた熱帯の植物はよく整備されている。一通り設備の説明を受けた後、部屋に落ち着く。床はタイル張りで、軒先で靴を脱いで上がる。表から一段も階段を踏むことなく部屋まで来られる。10畳程度の部屋とシャワールーム。冷蔵庫には、4日分のベーグルパンと果物が入っている。前払いで宿代を払うと、会った時のままの笑顔で去っていき、滞在期間中、二度と会うことはなかった。


10/02 end


Photo
見たこともない花puffin 見たこともない花
モンキーポッドの花です。植物園が併設されていて、そちらも素晴らしいそうです(立ち話をしたおじさん談)。
日立の樹puffin 日立の樹
手入れの行き届いた公園です。
戦艦アリゾナpuffin 戦艦アリゾナ
艦橋の部分でしょうか。手前の水面に油が模様を作っている。
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