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2003hawaii 10/06
 相変わらず静かな朝。今日でこのB&Bともお別れだが、はて、宿の人が居ない。初日に会ったおばちゃんは「明日からハワイ島に行くのよ。楽しみだわ」と居なくなってしまい、代わりに娘さんが来ているはずだが結局会わずじまいとなってしまった。テーブルに鍵を置き、そのまま出かける。

 ホノルル空港Honolulu International Airportに戻りハワイ島Hawai`i(The Big Island)へ移動。12時発のハワイアン航空Hawaiian Airlines182便でヒロ空港Hilo International Airportへ。1時間程度で到着。ハワイ島内の移動の足は、ハーパー・カー&トラックレンタルズHarper Car and Truck Rentalsのレンタカー。何でこんなローカルな会社にしたかは後で書くとして、空港から電話をし、迎えを待つ。程なくしてバンがやってきて、ヒロ市内の事務所へと向かう。

 事務所で早速手続きに入るが、国内外でこれまで利用したレンタカー屋の中で、最も厳格な手続きだった。契約書の全ての項目を読み合わせ(こちらの理解力にあわせて超ゆっくりと、一文毎に私がうなずくのを待っている)、質問をすると理解できるまで何通りでも言い方を変えて説明してくれる。時間をかけ、全ての手続きが終わり、最後に「あなたの英語力は素晴らしい」と言われたのは嬉しかった。

 いよいよ車とご対面。いすゞの四輪駆動車。これまたメンテナンスのお兄ちゃんと一緒に傷を一つ一つ確かめながら車を一周、鏡を使って車の下まで確認する。両者納得し書類にサイン、やっとキーを受け取ることが出来た。

 お腹空いたよう、もう2時過ぎたよ、って事でお目当てのカフェ100Cafe100へ直行。ロコモコ発祥の店(ロコモコの特許を申請した店だが、本当の発祥は違う店らしい)として各種ガイドブックに載っている有名店だ。ロコモコは、簡単に言えばハワイのどんぶり物。ご飯の上に目玉焼きやハンバーグ等が載っている。色々な種類のロコモコの他に、梅干しや漬け物の付いたBENTO(弁当です。)も売っている。テラスに座って食事。少し離れたテーブルでは、かなり年輩の日系人夫婦が静かに食べている。ヒロも日系人の町だ。

 食事を済ませ出発。今日の予定は、ハワイ島4分の3周。ヒロから反時計回りに海岸沿いの道Hawaii Belt Rd.(Mamalahoa Hwy.)を走り、最南端の町を目指す(時計回りに目指せば2時間程度で到着するはずだが、やはり島と言う物は一周してみたくなるものだ)。ヒロの町を抜けると、オアフ島O`ahuと比べると格段に人口密度が低いこの島は何も無い道が続く。しかしハワイ島観光名所の一つ、ワイピオ渓谷Waipio Valleyへ向かうこの道の周囲は緑豊かだ。多量の雨が深い谷を作り、入り江を刻むアフプアアahupua`aと呼ばれる地形が見て取れる。そのたびに道は内陸へ向かって大きく蛇行する。

 ワイピオ渓谷への分岐を通り過ぎ(残念ながら今回の旅程では訪れない)、程なくして島の西側に出る。ワイメアWaimea(Kamuera)からは内陸の道を走る。途端に風景は一変し、見渡す限り溶岩に被われた大地が続く。昨年のアイスランド旅行が思い出され、なんだかデジャビュ(既視感)な感じ。

 ハワイ島最大の町、高級リゾートホテルの建ち並ぶカイルア・コナKailua-Konaを通過しひたすら南下。早くしないと日が暮れてしまう。この辺りから有名なコナコーヒーの栽培地に入るはずだが、のんびり景色を見ている余裕は無い。サウス・コナSouth Konaの小さな町、ホナロHonaloで夕食をとることにした。選んだ店はてしまレストランTeshima's Restaurant。日本食レストランだ。

 すき焼き定食と鍋焼きうどんを注文。すき焼きはそれなりだったが、鍋焼きうどんはまったく別の代物、サイミン(これも多分に日系人の影響が入ったローカル食。細めのコシの無いラーメンのような麺類)だった。鍋焼きと銘打つからにはやはり鍋でぐつぐつと煮て欲しい(100歩譲ってサイミンで作るにしても)。それにしても、けっこう店は繁盛していてほとんどの客は器用に箸で食べていた。

 食事を終えると、外はすっかり暗くなっていた。急いで出発、ハワイ島最南端の町にある宿を目指す。ほとんど標識が無いので今何処を走っているのかよくわからない。道の変化を地図と照らし合わせ、〜何となくここらが最南端かなぁ〜、と思われる辺りから慎重に周囲の明かりに目を配る。見つかるかどうか、かなり不安だったがけっこう大きな看板が出ていて難なく見つけることが出来た。

 今日の宿は、シラカワモーテルShirakawa Motel。一泊35ドル(税別。税金を入れても一人20ドル以下)の過去最安の宿だ。なぜこの宿に決めたのか、唯一最大の理由は、ここがハワイ島最南端の宿という事だ(やはり最果てというのは行ってみたくなる物だ)。そして、ハワイ島最南端と言うことは、アメリカ合衆国最南端となる(ただし、グアムやサイパンはここより南に位置する。合衆国の一部とは考えないようだ)。

 年輩の女性から鍵を受け取り(間違いなく日系人だが、日本からの客に対して全く日本語を使おうとしない。おそらく日本語は話せないのだろう)、教えられた部屋に入る(建物は長屋のような状態で10数部屋が続いていて、部屋の目の前に車を止めることが出来る)。アメリカン・ロードムービー(この言葉は和製英語だ)に出てくるモーテルそのままの作りで、全てが安っぽい。水回りには蟻がたくさん歩いている。この部屋に明日の朝食用のパン(ホナロの雑貨屋で購入)を置いておくのは不安なので、部屋よりも気密性の高そうな車の中に移しておく。同時に少し洗濯をし、これも車の中に干した。夜空を見上げるが、雲が出ていて星は見えない。最南端と言っても、海まではまだ10マイル(16キロ)以上あるので波の音も聞こえない。寂寥感の漂う、静かな夜だった。


10/06 end


2009年3月記
 何気なく寄った「てしま」。なんとテレビで紹介されていました。BSジャパン「101歳の看板娘 −ハワイ日系移民の営み−」。アメリカのグルメ雑誌に紹介されるほどの有名な店らしい。「え、あのサイミン鍋焼きがグルメ??……」と思って観ていたら、黒い鉄鍋の中にラーメンとは明らかに違う太さの麺、ちゃんとした鍋焼きうどんの映像が映っていました。うーーん、あの時食べたのはやはりサイミンで、オーダーミスって事なのだろうか。

 店を仕切っている静子さんは日系2世。100歳を超える今も店頭に立ち、金勘定は全て自分でこなす。集う客は静子さんと同世代(まあ長老は静子さんだけど)の人々から、3世、4世……、旅行客と幅広い。静子さんと常連客へのインタビュー形式で、ハワイ日系人社会の営みを浮き彫りにする。“人に歴史あり”とは言った物で、通りすがりの小さな店に、これほど人々の思いが重なっていたとは。感慨にひたってしましました。サイミン鍋焼き、もっと味わっておけば良かったです。

 あと、「カフェ100」の“100”は、第二次世界大戦中に編成された日系人部隊の連隊番号だそうだ。主にヨーロッパ戦線に送られた日系人部隊は、孤立したアメリカ人部隊を救うために、孤立した部隊以上の犠牲者を出して救出に向かった等の逸話が残される活躍をした。自分たちがアメリカ人であることを示すために、まさに命懸けで戦ってきたのだ。カフェ100には戦争経験者が今でも集い、旧交を温めているそうです。

Photo
ロコモコpuffin ロコモコ
ロコモコ(右)とケイキ・ベント。
コハラ山脈puffin コハラ山脈
ハワイ・ベルト・ロードから、コハラ山脈を望む。山の向こうには、カメハメハ大王の生誕地があります。
シラカワ・モーテルpuffin シラカワ・モーテル
あまり女性向きではありませんが、自然の中の静かな所です。
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