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2004tunisia 10/10
サハラへ

 6時起床。今日も天気がよろしい。テレビでは「サーキット・デ・スズカ」で行われている「エフワン・グランプリ・ドゥ・ジャポン」を生中継している。台風の影響は無いのか、鈴鹿は晴天のようだ。ちょっとホテルの中を探検してみる。中庭から別な通路が延びていて、また違う庭に出た。昨日見たスターウォーズホテルと同じ作りだ。増築を重ねた旅館のようだとも言える。朝食は変わり映えのしない、いつものビュッフェスタイル。

 佐藤琢磨の入賞を確認して、出発。昨日のおじいさんを呼んで荷物を車まで運んでもらう。本日の予定は、砂漠への挑戦とチュニジア南部クサール巡り。昨日来た道を戻り、ドゥーズへの道を進む。ちょうどドゥーズとマトマタの中間あたりで、いよいよ砂漠への入り口、パイプライン道路に入る。ここから先は、全てのガイドブックに自力での単独行は危険と書かれており、行く場合は必ずツアーに参加するように推奨している。後から思えば非常に安易な考えであったが、この時は、−−四輪駆動車も借りたし、地図にも“実線”で載っている道路だし、ダメそうなら引き返せばいいか−−、と、まさか自分が大変なことになるとは思いもよらず、砂漠への道を踏み出した。

 目的地はクサール・ギレン。風光明媚(らしい)な砂漠のオアシスの町だ。地図では左手に石油パイプラインが平行して通っているはずだが、そこにあったのはとぎれとぎれに放置された、鉄の巨大なパイプだけだった。しかも右手に。道路は二車線の幅を確保しているが、ブルドーザーで踏み固めただけのような荒れた路面だ。車のスピードを上げると振動が激しい。たまに数十センチの厚さで、砂が吹きだまりのように覆い被さっている。かえってそっちの方が路面がソフトで乗り心地はよい。

 南へ60キロ、クサールギレンへの分岐に到着。ここからは熟練のドライバーのみに許される砂漠の道、覚悟して挑もう・・・と気合いを入れたらなんと舗装道路だ。とぼとぼ歩く野良?ラクダを眺めながらの快適なドライブでクサールギレンらしきところまで着いた。

 らしき、というのはそこが思ったよりも地味だったから。舗装道路がとぎれたあたりからナツメヤシのちょっとした林があり、掘っ建て小屋のような建物が点在するのみ。世界的に有名なリゾートホテルグループのパンサーホテルを探したが見つからない。ま、いいか、とりあえず来られたから。

 クサールギレンの一角に、砂漠らしい砂漠を見つけた。これまで砂漠と言っても乾燥した荒れ地が続くばかりで「鳥取砂丘の方がすごいじゃん」って感じだったけど、やっとイメージする砂漠の風景に出会えた。ナツメヤシが点在し、地平線まで砂丘のうねりが続いている。嬉しくなって、カメラを持って飛び出したら・・・やっちまった。気付くと自分が巻き上げた砂で、カメラが砂まみれになっている(泣・・・修理代、4万円でした)。

 素足になり、砂の中に足を埋めると中の方はひんやりとして気持ちいい。粉のように細かい粒がさらさらと足をくすぐる。サハラ砂漠に行ってみたいという、世界地図を眺めて子供の頃に誰もが一度は夢見る(・・・と思う)地に立てた自分が素晴らしい。ほめてやりたい。と、なぜか一人で悦に入ったりしてしまった。砂漠と言っても、ほんの端っこなんだけどね。

砂漠からの脱出

 気分を新たにして出発、の前にちょっとガソリンの残量が心配なので給油していくことにする。掘っ建て小屋の一つに大きくガゾイルと書かれているところに行くが誰も居ない。裏へまわると家族で食事中だった。最初に値段の確認をしようとしたが、話が全くかみ合わない。わざと取り合わないようにしているようにも見える。とりあえず、よくわからないまま、10リットルだけ入れてもらう。

 いったいどうやって給油するのか見ていたら、普通に日本の家庭で使われている灯油ポンプ(正式名称は“しょうゆちゅるちゅる”と言うらしい)の頭のオレンジ色の部分が手回しポンプに変わった物でシュポシュポと給油を始めた。なるほどね。

 請求された値段は20D。市価の4倍だ。給油しながら夫婦で幾らにするか相談していたように見える。明らかにぼったくられているが、交渉するだけの能力は無い。入れちまった物は返せないのでまあここは気持ちよく払いましょう。ちなみに普通は10リットルで5D程度。日本円だと600円くらいか。産油国だから安いのか、基本的に物価が安いのか、ともかく日本の半値程度だ。

 クサールギレンから元のパイプライン沿いの道に戻り更に南下。予定では途中で東に逸れて、タタウインに向かうつもりだ。暫く走るがそれらしい道が出てこない。GPSの表示ではそろそろ曲がってもいいはずだが。通りすがりのベルベル人−−あなた何処から来たの?−−に地図を見せて訪ねると、もっと先だと言う。仕方がないので突き進む。

 暫く走ると、道が完全に砂に覆われて、その先が見えなくなっているところに来てしまった。道自体に数メートルの起伏があり、先の状態が全くわからない。−−なんだかちょっとやばいな、あきらめて引き返すかな−−と、少し躊躇したが、無理だと書かれていたクサールギレンに行けたという根拠のない自信から、とりあえず、起伏の上の見通しが利きそうなところまで行くことにした。

 しかし、たった20メートル走ったところで、砂に捕まり動けなくなってしまった。アクセルを踏んでも砂を掘るばかり、今度はバックもできない。完全にお手上げ。時刻は12時。炎天下のサハラ砂漠の中に車一台、連絡の手段無し。クサールギレンから南は観光ルートから外れるため通る車も期待できない。死ぬとは全く思わなかったが、誰か通りかかるまで今夜一晩程度はここで過ごすことを考えた。

 とりえあず、悪あがきをしてみよう。タイヤの後ろの砂をかきだし、小石やビニールのマットを敷いてみる。今日も気温は35度を超えている。この状態で作業をすることが正しい判断だったかどうかはわからない。が、なにかやらなければ、こんなところまで連れてきてしまった妻にも申し訳ない。そんな気持ちで黙々と作業をする。幸いなことに、妻はあわてる様子もなく、色々と手伝ってくれる。

救世主、登場

 作業を始めて5分も経っていなかったかも知れない。奇跡が起きた。車のエンジン音が響いてくる。起伏に邪魔をされその姿は見えないが、確実に近付いてくる。なにがなんでもそいつを止めて、助けてもらわなければならない。現れたのは、一台の四輪駆動車、乗っていたのはフランス人だった。

 こちらの状況を直ぐに飲み込み、荷台から牽引用のロープを降ろす。見るとスコップとか、タイヤに噛ませるための鉄板だとか、完璧な装備だ。こちらの車を引っ張れる位置まで車を移動させ・・・ているとなんと彼の車も砂にはまってしまった。降りてきて、車の下をのぞき込み、肩をすぼめてお手上げの姿勢。しかしこちらに笑顔を向けてくれる。土下座して謝りたい気持ちがした。

 お互いの車を見比べ、どうやら我々の車の方が掘り出しやすそうだと判断し、とりあえずこの一台を掘り出すことにする。彼は黙々とスコップで砂を掻き出す。何をしたらいいのかよくわからなかったが、とりあえずカメラの三脚を使って同じように砂を掻き出すのを手伝う。いつ終わるともわからない作業が始まった。

 30分も経っただろうか、「OK!」と彼が笑顔で立ち上がった。タイヤに鉄板を噛ませる。車のキーを渡し、運命を彼に委ねる。ブーーーンと、高いエンジン音と共に、タイヤが空転を始める。が、直ぐに鉄板との間に摩擦を生み、車は見事、脱出に成功した。

 安全なところまで車を移動させ、彼は笑顔で戻ってきた。今度は彼の車の救出だ。また黙々と砂を掘る作業を始める。作業中も、うちの妻に水を差し出したりして、こちらが迷惑をかけているのに気を配ってくれる。ここから無事脱出できれば残りの全財産をあげてもいい気持ちになる。

 また30分ほどして、作業終了。牽引ロープをお互いの車に繋ぎ、準備完了。「いいか、ギアーはロー。クラクションを鳴らすから、1、2の3で、おもいっきり踏み込め。ワン、ツー、スリー、ブーーンだ」と指導を受け、お互いの車に乗り込みハンドルを握る。緊張の瞬間。プッ、プッ、プッ、今だ、いけーーー。と祈りながらアクセルを踏み込む。エンジンがうなり声をあげ、車は少しずつ動きだし、無事、脱出に成功した。

 車を降り、笑顔で握手をかわす。彼は丁寧に砂漠での走り方を教えてくれた後、笑顔のまま去っていった。車の中も、体も砂だらけ。砂にはまってから1時30分が経過していた。今日の予定は全て取りやめ、宿泊地のガベスに向かって直行することにし、来た道を戻る。クサールギレンとの分岐まで戻ると、それまでの高揚した気持ちがやっと落ち着いてきた。車を停め、南への道を振り返る。やはりここは砂漠だ。これまで軽装の登山者が遭難したニュースを聞くたびに馬鹿にしていたことを自分がやってしまった。今更ながら反省する。南に向けてカメラのシャッターを切る。が、砂を噛んだそのカメラは、ついに動きを止めてしまった。

地中海の夕暮れ

 やっとお腹が空いてきた。ル・ケフのホテルで失敬したマフィンを食べる。何気なく取っておいた物が非常食となってしまった。帰り道、同じ道のはずが、そこは全く違う道のように見えた。随所に砂の吹きだまりがあり、何処で捕まってもおかしくない。クサールギレンまで行けたのは本当に運が良かっただけなのかも知れない。

 マトマタへの舗装路に戻り、東を目指す。タメズレットのカフェまでたどり着き、休憩。大型観光バスが停まり、多くの観光客で賑わっている。車を降り、袖口にたまった砂を掻き出す。粉のように細かい砂は一瞬周囲を霧のように取り囲んだが直ぐに風に吹かれて砂漠へと帰っていった。アーモンド入りのミントティを飲み休憩。普段なら甘ったるくて閉口するアラブ式の紅茶だが、疲れた体に糖分がしみわたる。やっと気分が乗ってきた。

 おみやげ物屋を覗いてみる。物色していると、一人の男性が床にカーペットを敷きお祈りを始めた。こちらに来て初めて祈っている人を見た。忘れかけていたがここはイスラム教国だ。そういえばイスラム教徒は日に数回、決まった時間になるとメッカの方向に向かってお祈りをするんじゃなかったの?。“アラーのためなら命をかける”イスラム教徒のイメージは、この国に来てだいぶ変わってしまった。

 17時を過ぎた頃、ガベスの町に到着。竪穴式住居の町から2時間も走ればビルが建ち並ぶ大都会だ。ホテル・ラ・オアシスにチェックイン。団体観光客向けといった感じの大きなホテルだ。ホテルから歩いて行ける距離に海がある。夕食前に散歩。どうやら選挙があるらしく、あちらこちらにベン・アリ大統領他の写真が掲げられている。大きな木の板に数字が印刷されていて、そこにポスターを貼るのは日本と同じ方式だ。夕暮れの地中海に足を浸す。東海岸なので水平線に沈む夕日を見ることは出来ない。それにしても、無事に帰ってこれて良かったなあ。

 夕食は例によってホテルでビュッフェスタイル。きちんとテーブルがセッティングされて綺麗に整えられているが、意外と閑散としている。最初に飲み物を聞かれたので、ここは“つう”っぽく「セルティアぁ!!」とチュニジア産ビールの銘柄を告げる。するとウエイターは顔色を変え「お客様、どうぞこちらへ」とばかりに別室へ連れて行かれる。何事かと思っていると、そこにはフランス人団体客が居て、すでに飲んだくれていた。なるほど、アルコールを飲む部屋は別なのね。初めてイスラムらしさを感じた夜でした。


10/10 end


Photo
ディア・エル・ベルベルpuffin ディア・エル・ベルベル
どっかのテーマパークのような外観です。
サハラpuffin サハラ
クサール・ギレン近くのdune(砂丘)。四輪駆動の一団が交代で運転を楽しんでいました。
南へと続く道puffin 南へと続く道
この先に恐怖の砂漠体験が待っていました。
ホテル・ラ・オアシスpuffin ホテル・ラ・オアシス
ホテルのすぐ裏が地中海の砂浜。ちょっとピンボケですまんそ。
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